農業ファラシー

農業における誤謬(ファラシー)を中心に。

農業はなぜ間違って語られるか?

 夏目漱石長塚節の代表作『土』に序文を載せた。

「土」の中に出て來る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、たゞ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同樣に憐れな百姓の生活である。(……)彼等の下卑で、淺薄で、迷信が強くて、無邪氣で、狡猾で、無欲で、強欲で、(……)苦しい百姓生活の、最も獸類に接近した部分を、精細に直叙した

 「土」に就て 漱石

http://www.aozora.gr.jp/cards/000118/files/1745_16941.html参照。

 

 百姓を蛆と蔑み、遅れた野蛮な存在と看做す風潮は夏目漱石に限ったことではない。

 農業について語られてきた多くの言説は多分に差別主義に基づいたものであった。

 漱石自身が差別主義者でなかったにせよ、現代の感覚と相容れないものがそこにはある。しかし、現代の農業・農家を語る姿勢の背後に、 百年後の人びとにとっては、断じて受け入れられないような、差別的と思われるような言説が含まれてはいないだろうか?